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カテゴリ:ギャルの家族( 4 )


家族4:ラファエル


ギャルには一人息子がいます。
名前はラファエルです。
1981年にパリ近郊で生まれました。
これは幼い時のラファエルの映像です。四人家族の微笑ましい団欒です。



ラファエルの十代は悲しみと苦しみの連続です。
11歳の時に父ベルジェが亡くなっています。
スクーター事故を起こし、瀕死の重傷を負います。
姉のポーリーヌを病気で亡くします。
うつ病になります。散々です。

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その後、サウンド・エンジニアの勉強をして、Adrienne PaulyやJune&などのアーティストをプロデュースし、ジョン・レノンの息子ショーンの"L'éclipse"の音作りにも参加しています。
ちなみに、ラファエルは父方(ミシェル・ベルジェ)の祖父ジャン・アンブルジェの姓を受け継いで、ラファエル・アンブルジェと名乗っています。綴りはHamburgerで英語だとハンバーガーとなります 037.gif

by gall_gall | 2016-08-09 08:32 | ギャルの家族 | Comments(2)

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ギャルには双子の兄がいます。パトリスとフィリップです。
写真はギャル一家のヴァカンスの一コマで、左からパトリス、ギャル、フィリップ(ギター)の順です。
元オペラ歌手でシャンソンの作詞家である父ロベールの影響で三人の子どもはみな幼い頃から歌や楽器に親しんでいました。
とくに末子のギャルは父と兄たちに可愛がられた(鍛えられた?)おかげで、歌手として成功し、男っぽいサバサバした性格にもなったのではないでしょうか 037.gif

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家族の真ん中にいるギャルを父と兄たち男性陣が囲んでいる写真のとおり、父ロベールはギャルに歌詞を書き続け、双子の兄たちもギャルの歌手活動を支えます。
つまりアイドル時代のギャルは家族経営(ファミリー・ビジネス)による歌手なんですね 079.gif

フィリップはギャルのバックバンドのベース演奏者としてツアーを共にします。
パトリスは父ロベールの歌詞に曲をつけ、作曲家としてサポートします。
ロベルト/パトリスの手による楽曲は以下の通りです。

「新学期」「あなたに愛してもらうために」「シャンソン戦争」「私の愛する人」の4曲です。
作曲的にはどれもあまりパッとしませんね〜 027.gif
まあそう言わずに(笑)、「新学期」の動画を見てみましょうか。



双子の兄のその後ですが、フィリップは兵役に召集されバンドを離れたというところまでしかわかっていません。
パトリスは歌手として自作曲をレコードでリリースしましたが(現在わかっているのは3枚のEPです)、今は活動はしていないようです。

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最後にYoutubeにアップされている自作曲を紹介します(やはりパッとしません 笑)




by gall_gall | 2016-05-22 11:49 | ギャルの家族 | Comments(2)

ポーリーヌはギャルとベルジェとの間に生まれた初めての子ども(長女)です。
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1978年11月にパリに生まれたポーリーヌ、ギャルとベルジェの喜びようは動画を見てもわかるように、ギャルのお腹にいる頃からカメラが回っています。だいたいそうですが第一子は初めてということもあって喜びや興奮がひとしおなんですよね、写真やビデオ映像に両親の愛情を独占している状態で残されます、それが第二子のときになると写真やビデオ映像にどうしても第一子も入り込んで写るので第二子だけに注目というわけにはいかないので第二子はなんだかなぁ〜という感じになってしまうのです、さらに第三子、四子ともなるともう。。。 015.gif



ポーリーヌが3〜4歳の頃の写真で萌え萌えの可愛いさですね〜、後部座席は81年に生まれた第二子(長男)のラファエル君です、やはり上の子(ポーリーヌ)に目がいってしまいますね〜。
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ごく当たり前のように音楽があふれた家庭で育ったポーリーヌもおそらく幼い頃から音楽や楽器に親しんだのでしょうが、ギャルが父ロベルトの敷いたレールの上で歌手としてデビュー&成功したようなことはポーリーヌにはありませんでした。彼女はむしろファッションデザイナーになることを夢見ていました。
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ところが、皮膚の遺伝性疾患を発病し数年ものあいだ療養に励みますが、1997年の19歳の時に悪化して亡くなってしまいました。そのときのギャルの悲しみがいかほどだったかは、このことでギャルは一切の音楽活動を止めてしまったことからもわかります(2007年頃からようやく活動を再開します)。

この写真がポーリーヌを撮った最後のものです。
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by gall_gall | 2015-10-18 12:17 | ギャルの家族 | Comments(2)

ロベール・ギャルはフランス・ギャルのお父さんです、私はギャルパパと呼んでいます。
1918年のサン=ファルゴー生まれ、オペラ歌手としてデビューしやがてシャンソンの作詞家に転身、エディット・ピアフやシャルル・アズナヴールに歌詞を提供します。当時の代表曲が「ラ・マンマ」です。



このように芸能界と深くかかわっていたロベールは、娘のイザベル(ギャルの本名)を幼い頃からオリンピア劇場の楽屋に連れて行き、ピアフ、ベコー、アズナヴールといった一流歌手たちと会わせていたそうです。そしてイザベルにボーカル、ピアノ、ギターを習わせてその才能を見出したロベールは娘のデビュー(16歳)に尽力します。
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なぜ娘をイザベル・ギャルではなくフランス・ギャルという芸名にしたのか?
じつは当時イザベル・オーブレというシャンソンの人気歌手がいたためにイザベルという名前ではかぶるということでした。そこでたまたまラジオで耳にしたラグビーのフランス対ウェールズの試合の略称"FRANCE-GALLES"をそのまま名字のギャルとひっかけて芸名として使っちゃおうと。
例えるなら玲緒奈という名前がありながら日本対ガーナになぞらえて"加納日本ちゃん"、日本対アイルランドなら"愛蘭日本ちゃん"、みたいなことになるのだから娘イザベルはそんなの酷すぎるとおいおい泣きました007.gif(後年には慣れて好きになったそうですがそれもスゴい 笑)。
63年に自らの作詞で娘をデビューさせます、つまり「パンス・ア・モア(私のことを想って)」です。ジャズ音楽を聴くのが好きでジャズシンガーを目指す娘の好みにあわせてジャズミュージシャンを集めてのレコーディングでした



以後、ギャルの歌う多くの楽曲の作詞を手がけていきます、「Jazz À Gogo」「かわいい娘」「おとなしくしましょう」「ちゃんと言ったでしょ」「あなたに愛してもらうために」「おやすみなさい」「リボンと花」「そして、口づけ」「二羽の鳥」「はじめての失恋 」「ジャズる心」「シャルルマーニュ大王」「月の光に」「似ている、私とあなた」「新学期」「この曲よ」「この曲が聞こえる」「一緒にいると」「私の愛する人」「青い目」「ああ!なんて家族」「シャンソン戦争」「テンポの時代」「インドの歌 」「太陽をあげよう」「ゾゾイ」などなど。
特筆はギャルが(アイドルソングではなく)本当に歌いたがっていたジャズる系の4曲すべてをロベールが手がけたということです、娘を想う父の優しさが偲ばれます。ギャルのシンガーとしての実力はこのジャズる系に現れていますね〜、これを聞けばギャルが音痴だとかヘタだとかは言えないはずですね。では、そのジャズる系の1曲「テンポの時代」(68年)をアップします。グルーヴしてますよ〜



70年の「ゾゾイ」を最後にロベールは作詞から身を引きます。この時期はギャルの不遇期で人気もセールスも低迷していたので責任や自分の限界を感じたのでしょうか。その後に娘がミシェル・ベルジェと出会い歌手として復活&結婚ということになって喜ぶ父の姿が目に浮かびます。
ロベール・ギャルは90年に71歳で亡くなりました。歌手ギャルのアイドル時代を支えた作詞家ロベールの存在は大きかったのです 079.gif


by gall_gall | 2015-09-06 12:14 | ギャルの家族 | Comments(2)